晴れたらいいね。

日々の料理と息子と私。シングルマザーのひとりごと。

カツオは故郷の時を泳ぐ。

私の故郷とはどこだろう。

 

人に聞かれると私は千葉県と答える。

 

私が住んでいる所よりも東京都寄りだけど

実家があるのも千葉県だしね。

 

今住んでいる千葉県の真ん中辺り、

結婚していた時に相手の強い希望でこの地域になったので

私が住みたくて選んだ場所ではないの。

友達も皆、都内や東京寄りだしね。

 

正直、ここで子育てを始めてしまったから

離婚した今も離れられないというのが現状だったりする。

でも息子にとってここは実家であり、故郷なんだよな。

そう思うとこの場所も大切にしなければ。

 

実家が千葉県とは言っても、まあ、両親とも東京都出身で

家族全員勤め先も都内、私は学校も都内で

いわゆる千葉都民って言うのかな。笑。

 

今の実家のあるところに私が住んでいたのは

小学校四年生の中頃から十九歳まで。

 

その前も二歳から四歳くらいまで住んでいた。

新婚から私が生まれて二歳になるまで都内に住んでいた両親が

弟が生まれた時に買ったマンションが今の実家。

両親はマンションを買って二年経たないうちに

父の仕事の転勤で福岡県に引っ越ししたことになるなあ。

 

千葉県から福岡県北九州市に引っ越す時、

母から実家の廊下で言われたこと。

「パパはね、お仕事が九州ってところに変わるのよ。

だからお家が変わるのよ。」

まだ四歳だったはずなのに私はよく覚えている。

 

その後、小学二年生の中頃、香川県坂出市に。

瀬戸大橋がない頃だぞ。笑。

瀬戸大橋着工のセレモニーが行われる頃に、また千葉県に戻った。

本州に渡ったのは船だった。

甲板から見た、父の会社の同僚が手を振る姿をいまだに覚えている。

 

やっぱり私の故郷とは実家のあるところなのかな。

小学生の頃からの幼なじみもいるしなあ。

 

幼稚園は二園、小学校に至っては二年おきに三校。

学校が変わる度に黒板に名前をかかれて紹介される、あの転校生になった。

 

大人しかった私、方言でしか話せない言葉、

千葉県に帰ってきた時が一番嫌だったな。

都会の人はなんて怖いんだと思ってどんどん無口になった。

高校生になるころには都内の女子高生になり、

原宿やライブハウスで、多分、誰よりも青春を謳歌してましたが。笑。

 

私は転校生になって

既に出来上がっている集団の中に飛び込む、あの緊張感が大嫌いだった。

 

経験を重ねた今はもう、新しい環境もどうということは無いけどね。

 

そういう経験から

 

職場で、とか、大人数で飲んでる席で、とか

居心地悪そうな人がいると私は気になってしょうがない。

皆がリラックスして過ごしている中で、

緊張感を持って笑っていいのか迷っているような困った顔をしていたり。

あの表情を見つける度に

心の中で密かにファイト!って思う。

 

新入社員の時に誰もが一度は経験すると思うけど。

いつか息子があの新入社員になるかもしれないと思うとドキドキする。

でも変わり者の息子、新入社員にはならないかもね。笑。

 

 

香川県坂出市に住んでいた頃、

美味しいカツオとうどんにハマった父。

 

もう、ほぼ毎週末、

お昼はうどん屋さんで釜揚げうどんと関東だき(串に刺さったおでん)だった。

私はキツネうどんに牛スジと玉子の関東だきばかり食べていた気がする。

 

今でもカツオのたたきを見ると坂出の社宅を思い出す。

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釜玉うどん。

 

温めた器に生卵をとき、茹でたての熱いうどんを投入。

素早く混ぜるとほんのり煮えた卵がふわふわに絡まるの。

味付けしてどうぞ。

これはすき焼き味の牛肉を乗せてみた。

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結婚前に育ったところを母と旅してまわった。

(離婚したけど。笑)

 

福岡県北九州市、黒崎にあった社宅の町は無くなりリゾートホテルに。

そこに泊まり、年齢を重ねた母と最上階から見た景色、不思議な感覚だった。

香川県坂出市の社宅マンションはあったけど

遊んだドブ川は蓋をされ、田んぼは小さくなっていた。

 

それが、十八年ほど前。

 

父の話によると黒崎のホテルは無くなったそうだ。

坂出の社宅はグーグルマップで見たら、戸建ての住宅街になっていた。

 

また行きたいな。今度は一人で行こうかな。

 

故郷と呼ぶ場所には迷うけど、

懐かしい場所がたくさんある私は幸せだ。