晴れたらいいね。

日々の料理と息子と私。シングルマザーのひとりごと。

言葉と未来と蕎麦の味。

私の息子は中学三年生。

 

けれど学校に行っていない。 

理不尽な大人の言動に耐えに耐えて学校に行っていたら、

思春期に入り、起立性調節障害という病気になってしまった。

 

定期テストのみ保健室で受けて下校してくる。

 私が学校に行きなさいと最後に言ったのは中学一年生の頃かな。

 

小六の二月に突然学校に行けなくなってから

普通ということを捨てられない私と、

普通でありたいのにそうは出来ない息子と、

真っ暗な迷路の中にいるようだった。

壁がへこんだり、私は苦しむ息子に近付き過ぎて、痣を作ったりもした。

 

真面目な息子は学校に行きたくない、行けない自分を責めていた。

出来ることなら普通の中学生であって欲しい私が

あの頃、さらに息子を追い詰めていたんだと、今となっては思う。

 

息子は「学校に行きたくない」とは言わなかった。

毎日ベッドで布団を被り、無言を通していた。

 

ある時から私は行きたくない中学校なんて行かなくていいよ、と思っていた。

でも息子にそうは言わなかった。

息子の口から「学校には行きたくない」と

何としても聞きたい、言わせなければ、と思ったので。

 

毎日聞いた。今日は学校どうする?って。

言葉で返事をするまで何度も何度も聞いた。

その場を切り抜ける為に「明日行く。」と言われたら

その明日にはベッドから引きずり出して車に押し込んで連れて行った。

君が言ったんだ。嫌なら嫌だとちゃんと言いなさい

・・・と言葉ではあえて言わなかったけど。

私は息子に関しては察するということを一切止めたの。

 

ある時、突然、息子が

「僕はあの学校には行きたくないんだ。あの軍隊みたいな規則とか、

うえーーいって言うノリの中学生の中ではやっていけない。

数学が好きだからテストは受ける。」

と言いに来た。

私がそう?分かった。中学校は行きませんって言っておく。

その時、久しぶりに息子の笑顔を見た。

 

中学校の学年主任に

「息子が僕は中学校には行きたくない、やっていけないと、

きっぱり言うので卒業まで恐らく登校しません。宜しくお願いします」

と宣言した時に、息子はもう大丈夫だと思ったの。

学校に行かないことが決まったのに。笑。

まあ、私は親としてかなり変わってるみたいだから。あはは。

 

先生方はかなりの驚きだったみたい。

だって前日まで無理やり車に詰め込んで連れて行ったりしてたのでね。笑。

 

じゃあ、何をしたらいいと思う?何もしないと何にもなれないよ?

「僕は中学校とか集団は嫌いだけど、勉強は好きだからやる。」

君はなりたいものに必要なのは何だと思う?

「数学と英語」

じゃ、今やらなければならないのはそれだ。

家庭教師を探そう。特に数学は長い時間の積み重ねだから理系の先生にしよう!

 

で、現在も週二回で家庭教師の先生に来てもらっている。

 

今では高校は必要だから絶対に行くんだと言っている。

一人暮らしで料理出来ないのはヤバいからやろうかな?とか

知らない人と話すのが怖いけどママは何故平気なの?とか

色々考えてるみたい。別に深く聞いたりしないけど、私。笑。

 

なりたい自分を見つけることが出来たら、

自分で動き出すんだと思うの、人間って。

これから息子がどんな大人になるのか、予想がつかない。

もちろん不安も大きい。けれどそれってちょっと楽しい。

 

料理も仕上げたいイメージが大事。笑

 

豚の角煮、ギトギトは避けたい。

なので約二時間に及ぶ下茹でで、脂のギトギトと完全にサヨナラ。

出来上がりを冷蔵庫で冷やしても白い脂の塊はゼロです。

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蓮根、たらこマヨネーズサラダもキンピラも変色した紫は避けたい。

切ったら薄い酢水に浸すと綺麗な仕上がりに。

 

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そういえば、一年生の冬、新潟で二泊三日のスキー教室があった。

息子は参加したいけれど無理かもしれないと迷っていた。

ダメなら迎えに行くから安心して行ってきなさい!

 

母は言ったことは責任を持ちますよ。

二日目の早朝、息子が体力の限界だと先生から電話をもらい、

行きました、新幹線でお迎えに。

電話を受けてから20分で家を出られたのはちゃんと準備してたんだぞ。笑。

 

その時に、越後湯沢駅で食べた天ぷら蕎麦が

今までで一番美味しかったと先月、息子が言っていた。

 

息子は大丈夫だ。